第28章◎「金融モラトリアム法」は天下の愚法

「金融モラトリアム法」を覚えているでしょうか? 昨年(2009年)夏の政権交代後、当時の亀井静香金融・郵政改革担当大臣の肝煎りで作られた法律で、2009年12月から施行されました。正しくは「中小企業金融円滑化法」といい、金融機関に対し、中小企業や個人に行っている融資の条件の変更を促す法律です。要するに、国が銀行に「借金の返済を待ってやれ!」と言っているのです。金銭の貸し借りは当事者同士の問題のはずですが、そこに“赤の他人”の「国」がしゃしゃり出てきたわけです。

当初の構想では、金融機関に対して一定の強制力を持たせるはずでしたが、スッタモンダの末、“努力目標”くらいにまで後退して成立しました。亀井大臣は不満だったようですが、とりあえずは顔が立った格好です。しかし、私に言わせれば、この法律、「愚の骨頂」以外の何物でもありません。借金返済が猶予されるということは、借りた側は助かるかもしれませんが、貸した側にしてみれば、大きなリスクを抱え込むことになります。引いては自身の経営にも影響を及ぼしかねません。経済全体にとっても極めてマイナスです。

“自然淘汰”は当たり前だ!

ある街にクリーニング店が5店あったとします。それぞれ競合関係にありますが、長引く不況のせいで、5店とも赤字経営が続いています。現状の売上は、いずれも採算ラインの80%を推移しているとしましょう。5店ではどこも赤字だが、もし4店なら何とか採算に乗る……そういったラインです。言い換えれば「どこか1店が潰れてくれれば、残りの4店は生き残ることができる」のです。この場合、国はどのような政策を採るべきか……。

私なら、いずれか1店が店を閉じるように誘導します。赤字を出し続ける5店全ての延命を図るようなことはしません。そりゃあ確かに、潰れる店にとっては、たまったもんじゃないでしょう。しかし、いずれかの店がなくなることで、残った店が黒字になり、生き残ることができるのなら、私は容赦なく1店に潰れてもらいます。体力がなくなった者は、速やかに表舞台から“退場”してもらう……自由主義社会の原則ではありませんか! “自然淘汰”は残酷でも何でもなく、極めて「当たり前のこと」なのです。

なのに、金融モラトリアム法は5店全部の延命を図ることになりました。景気の急回復が起こるならまだしも、そんな気配がない以上、5店の赤字はこれからも続きます。地域全体で需要が40、供給が50なら、10の赤字を出し続けることは小学生でもできる計算。年々傷は深くなるのです。早く1店が店をたたんでいれば、4店が生き残れただけでなく、閉じた店も浅い傷で済んだのに、傷を深めて5店が共倒れになっては目も当てられません。
私の周りを見ると、潰れるのをとりあえず先送りし、傷口を深めている会社ばかりです。こんなことでは、未来永劫、景気が上向くことなどあり得ません。いずれにしろ、金融モラトリアム法は、将来必ず「あれは大失敗だった」と言われるでしょう。断言します!

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