第15章◎都市生活者は「我慢」をせよ

こんな話を聞いたことがあります。
伊豆諸島の離島で、地元診療所では対応できない重篤な救急患者が発生しました。伊豆諸島は東京都ですから、東京消防庁の救急ヘリが出動し、都心へ搬送することになります。島を飛び立ったヘリは、都心の救急病院へ一直線……と思いきや、せっかくヘリポートがあるにもかかわらず、直接受け入れることができない病院があるというのです。理由は病院の周辺住民の声。騒音を理由に、ヘリポートへの離着陸に反対しているのだとか。 この話をアメリカの友人にしたら驚いていました。「Stupid !」(バカげている)と。

都市機能を充実させる施策であっても、今では一部の利害関係者の猛反対があれば、実行することができなくなっています。かつて美濃部亮吉・東京都知事が「1人でも反対があれば橋を架けない」と言ったのは有名な話です。しかし、そうした方針により、進捗が大幅に遅れたり、工費が大きく膨れあがった事業は数多くあります。例えば、早く建設していれば工費が安く済んだのに、美濃部都政の方針でなかなか着工できなかった環状8号線は、結果的に工費が数兆円も余分にかかることになってしまいました。
嘆かわしいことに、美濃部都政以降、こうした方針を「地元重視」と評価する風潮が定着してしまったようです。これも、弱者の味方ぶるマスコミのせいでしょう。一部が強硬に反対した結果、余分な税金が投入されることになった事実には目をつぶるのでしょうか。

「ノイジーマイノリティー」を排除しろ!

社会評論家の大前研一さんは「サイレントマジョリティー(声なき多数派)」と「ノイジーマイノリティー(声高な少数派)」という言葉を紹介し、現代の日本は「ノイジーマイノリティーに気を遣いすぎている」と主張されていたと記憶しています。まさにその通りです。メリットとデメリットを比較した時、デメリットの方が目立つのは当たり前。たとえ、メリットの方が大きく、デメリットの方が小さくてもです。

都市機能の充実や成長のためには、個人の自由がある程度制限されるのは、仕方ないことではないのでしょうか。暴走族が出す騒音やコンビニ前で若者が騒ぐ声は取り締まる必要があるでしょうが、都市間、あるいは都市内のインフラを整備するために発生する騒音は、我慢してもらうべきです。先の例で言えば、一刻一秒を争う離島住民の命より、都心の住民の「快適な環境」とやらが優先されていいわけがありません。もし、搬送が遅れて患者の命が失われた時、着陸を反対した住民は、どう責任を取るというのでしょう?
都市の住民は、田舎にはない便利で快適な生活を享受しているのです。「社会のためなら、ある程度の我慢は引き受けましょう」という気概があって然るべきではありませんか?

「ダムをつくるから」と数百万人を強制転居させる中国と、「皆さんの話を伺いましょう」と言って何もできないニッポン……私には「中国の方がよっぽど先進国だ」と思えます。

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